2011年3月27日日曜日

ローソン給水所

今回の震災時、近所のローソン(仙台高砂一丁目店)にはすごくお世話になった。

このローソン、市内のコンビニが品切れした時点で次々と閉店していく中、
停電&品切れの状況でも昼夜スタッフが待機し、トイレ&入り口前の水道を開放してくれた。
(うちの近所は水道が生きている世帯も多くありそのローソンも大丈夫だった)

店長さん、品物が無い事やトイレが暗い事に「ごめんなさい」って言っていた。
もちろん店長さんのせいでは無いし、トイレ使える事だけでどれだけ助かった事か。

少なくとも始めのうちなんて店長さん自身が泊り込みで対応してくれていたと思う。
マンションの水道が止まって飲料水やトイレに困ってたので何度も使わせてもらった。

今はもう落ち着いてきてると思うけど、遠くから給水の為に来る人もいたみたいだった。
昼間は行列ができていた。
水道代で店がつぶれる事は無いと思うけど、かなりの量だったんじゃないだろうか。

何かお返しをする事はできないものかなぁ。
せめて水道代だけでもなんとかしてあげられると良いのだけど・・・。

東北関東大震災

今回の東北関東大震災の被災者になった。
既に多くの情報が出ているので改めて書くことも無いと思うけど記録として。

ボクは幸い怪我も無く家財の被害もほぼ無かったが、会社から2時間かけて歩いて帰る事になったり、
1週間近くライフラインが止まるという状況になってしまった。
街中に居たので直接見ることは無かったけど、自宅マンションから1キロほどの
ところにはしっかりと津波の爪あとが残っていた。
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11日の震災後、我が家は電気が19日夜、水道が23日くらいに復旧した。
ガスはまだだけど近いうちには復旧する様子。

■陥没した歩道(12日)
液状化現象で話題の浦安ほどではないけど自宅マンション前の歩道が陥没。
ただ、数日後には砂利でそこは埋められていた。復旧対応の早さに驚く。
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■塩釜の石油コンビナート火災(11、12日)
こんな光景滅多に見ることは無いと思う。
夜は赤々と燃える炎。昼はもくもくと上がる煙。
数日続いた。
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■流された車や家(12日)
多賀城市に入る手前、仙石線中野栄駅付近。多賀城に比べればまだかわいい方だった。
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宮城野区蒲生付近。本来家の無い川辺に家が。
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瓦礫も大量にあった。
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まるで池のような田んぼ
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■仙台の街(12日)
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■ライフラインが無い間の生活
色々不自由だけど、周りの助けもあり特に生活に困る事は無かった。
日ごろから自転車に乗っていたので、9kmほどある街中への買出しも苦では無かった。
健康で良かったと思う。